しょうの自由帳

自由に生きる人のライフログにしようと試みるも書けないことが多すぎて企画倒れ

零細飲食店が変われない理由、僕の体験談。

僕の実家は飲食店

僕の実家は都内に何店舗かの店を出す飲食店。僕もオンラインコミュニケーションの部分やメニューブック等のデザイン、あるいはもう少し経営の根幹の部分で手伝いをしている。一時期こそそれなりに売上もあって、利益も出ていた。しかし少子化の暗雲立ち込める中、リーマン・ショックでとどめを刺され、以降は鳴かず飛ばずの酷い状態。売上は2~3割減。現預金月商比率とか有利子負債依存度とか、計算するまでもなく、現金がなく負債たっぷり。従業員の給与も払いきれず1割ダウン。消費税も払えず滞納中。「来週卸業者に払わなければいけないお金がない、やばい」とか「事務所家賃を3ヶ月滞納している!」とかいった状況が普通に起きていた。

うちのレストランがそんな状態だと現実的にわかったのは昨年。2000年台の僕は高校生だったし、2010年台に入ってからは東京に住んでいなかった。普段父親は店のことを家で話に出さないから、年に数回実家に戻った時も気付かなかった。だから東京に戻ってきて「ここまでか」と知った時は本当に驚いたけれど、それが現実だった。外見はおしゃれで余裕綽々の店も、案外危機的な状況にあるものだ。

 

目指せターンアラウンド

うちのレストランの危機を知る、そして僕は東京にいる。経営改善にチャレンジしない理由はなかった。脇道にそれるが、これは父への親孝行、という美談ではなくて、極めて実利的な理由による行動だった。僕はこのレストランの味を本物だと思っていて、失いたくなかった。東京の友達と無料で会食できる場として失いたくなかった。親の収入がなくなって困るのは僕だった。

僕は様々な策を打とうとした。売上向上策とコスト削減。しかしこれがなかなか難しい。

 

コスト削減策

1. 事務所移転

まず検討したのは事務所移転。今の事務所は儲かっていた頃の広い事務所。無駄に広い。もう少し小さなところへ移れば月に数万円は浮く。しかしできなかった。事務所の移転は長期的なメリットがあるものの、短期的に大きな出費を伴う。引っ越し代、新しい事務所の敷金礼金など。こうしたまとまった金を用意する金がなかった。借金は限度額一杯。これ以上銀行からは借金できない。驚くことに僕の知らないところで親族からも借り尽くしていて、本当に当てがなかった。サラ金も検討したけれど、そこは揉めて結局実現せず。確かに切実にお金の問題もあったのだけど、生活レベルを下げたくない、という親父のこだわりもあった。

2.人件費カット

週休1~2で長時間働かせ、その上で給与ダウンもした。これ以上はできない。パートを雇え、という人がいるかもしれない。しかし無駄だ。なぜならパートを雇ったほうが高くつくから。時給換算するとそれほど少ない給料で従業員を働かせてしまっている。

3. 原価カット

ここはもともとギリギリまで値切っていて、そう簡単には下げられなかった。ましてや食糧価格が上昇しつつある中、これ以上というわけにはいかなかった。

4. その他無駄な契約カット

とりあえず月1万ちょっと払っていたレストランサイトを閉鎖。自家製のサイトに切り替えた。決済サービスについては、今ではSquareやPaypal hereなどがあるけれど、クレジットカードを廃止するわけには行かなかった。他にも洗いざらい探してみるけれど、結局月2万円弱のカットにしかならなかった。

 

売上向上策

売上に効くドライバーは客数と客単価。これらを左右する大きな要素が新規顧客の流入と客層だから、飲食店は本当に立地が大事。しかし、うちのレストランは人通りの多くない地域密着型の店だ。人通りは少ないから新規顧客が継続的に入ることはない。若者のベッドタウンだから客単価も安い。もちろん、「なら店を移転すればよい」と言っても無駄。なぜならお金がないから。その日、その月を凌ぐので精一杯だから、コストの掛かる変更は無理なのだ。

他にも、客層を変えるために新装開店、コンセプトチェンジ、とかもできない。お金がないから。

結局変更にこぎつけたのはコストの掛からない「ソフト面」のみ(接客など)。しかしこれは中長期でジワジワと効いてくるものだから、未だ効果を測定できずにいる。この辺のことは後の記事でまとめたい。

 

まとめ

とにかくこの記事で言いたかったことは1つ。零細飲食店は変われない。それは長年のこだわりや変化を起こす気力がないという理由もあるが、一番の問題はお金(キャッシュ・フローである。その日、その週を凌げるかどうかの自転車操業の状態では、起死回生の投資すらできずに、ゆっくりと堕ちていく。

 

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