しょうの自由帳

自由に生きる人のライフログにしようと試みるも書けないことが多すぎて企画倒れ

2015年の反省と今年やること<その1:株式投資>

2016年になりました。ついでに先日23歳になりました。去年の反省と今年やることを書きます。

 

去年の反省と今年やること

今年やることはズバリ、「去年と大枠は変わらない」です。去年までは一年経つと環境・目標・行動が様変わりしていたのだけれど、今年こそは人生初の去年からの苗をじっくり育てる年になりそうです。落ち着いたのはいいことだ。したがって去年の活動の反省も交えてお話しします。なお、居住地はこの一年で京都→東京→シンガポール変遷。海の向こうまで流れついてしまいました。

  

株式投資

反省と目標

去年の記事はこちら

2015年、今年やること <その1:株式投資> - しょうの自由帳

 

 

 1年間、株式投資に関しては集中して取り組めたと思う。最初は東京で活動していたのだが、10月にシンガポールに移籍。パフォーマンスは途中で運用額が4、5回大きく跳ねたので計算不可能。

 

去年の記事ではこんな抱負を掲げていた。

スタイルはスイングトレードデイトレードの両輪でいきます。テーマは「マーケットメーカーのダイナミクス」。マーケットを支配する機関投資家がそれぞれ何を考えてどのように動いているのか、そして全体としてどのような需給となるのか、弱小個人がどのようにカモられるのか。これをひたすら推論し、感覚でなく論理で(短期)需給を説明できるようになりたいと考えています。ザラ場ではアクティブにトレードし値動きを感覚レベルで体感し、ザラ場外で色々な素材をもとに考察を深めてゆく所存です。

この「マーケットメーカーのダイナミクス」については常に意識してきただけあって多くの知見を獲得し、トレードに反映できた。自分に及第点をつけたい。自分の投資スタイルの根っこの部分(自分はこういうトレードならできる!)はかなり固まってきたといえよう。それにしても「わかる」と「できる」は違うもので、

手法を着想する
→市場でその手法を使うべき局面に出くわすも後から気づいて猛省
→今度こそはと実際発注ボタンを身構えると怖くてできない。できない自分を猛省
→三度目の正直でできるようになる

という調子でこの1年間で学んだこと全てを実戦で活かせるになったのは12月頃。

 

これを踏まえた今年の目標は以下の通り:

・去年得た知見から得られた手法(体系)をミスなく確実にできるようにする
※手法の使い時・選び時の判断も含む

・テーマ株トレードを身に着ける
※去年のやりのこし課題

・米国市場に本格参戦し、日本市場と同じ感覚でトレードできるようにする
※資本主義が続く限り、基本的には米国市場が一番やりやすいと考える

 

この3つに集中したい。ロット管理やロット管理や銘柄分析や連想力など、他にも課題は山ほどあるが、とりあえずこれらが最優先課題。

 

現状:自信をもつことと誤りを認めることのバランス

去年一番意識せざるを得なかったこと、今年一番意識するだろうことは間違いなく「自信をもつことと誤りを認めることのバランス」である。

ある銘柄に投資して、カタリストの時期も含めて業績と株価推移のシナリオをたてるも、予定通りのカタリストと業績に対し株価がついてきてくれない。とある変化(たとえば下方修正)にベットしてトレードするも、一時的に逆の値動きをし、どこまで損するのかわからない。今にでも本来の方向に動いておかしくないのに…。

想定と結果が違うならばもちろん自分を疑うのだが、疑った結果自分を信じ続けるのか、誤りを認めるのか、この分岐をどこでどのようにやるかが非常に難しい。値動きが悪かったら強制的に閉じるのか、値動きが良かったら多少甘めに握るのか、など。どこでどの線を引くのかはすごく難しく、これが決定的な差を生む。たとえば値下がりが損切りの警告になるか、安く買えるチャンスになるかという正反対の行動を生むのだから。

「少しでも思惑から外れたらポジションを閉じれば良い。不安なポジションは持つべきでない。」

この指摘は尤もに思えるが、世の中チャンスは無限だが意外と少ない。「全て思い通りにならない限りは切る」式のガラス細工のようなトレード方針では身動きが取れなくなるのだ。細かい想定外(日中の些細な値動きなど)を含めれば、持ち続けられる株はなくなってしまう。しかも不安でポジションを切りたくなるような値動き、情報が飛び交う機会に限って大きな収益をもたらすのだから更に厄介。ベストトレードと損切りは本当に紙一重だ。

自信と誤りを認めることの難しさは、もっと大きな枠組みにも言える。自分にデイトレードの適性がないと諦めるか、もうちょっと続けてみるか等といった悩みは尽きない。事業も株も、トレード手法も、損切りや辞め時は大事といわれるがこれはすごく難しい。「最後の一掻き」が足りないだけで成功は目の前なのかもしれない(そしてたいてい「最後の一掻き」が他者を出し抜いて圧倒的成果に繋がる)。一方で自分は徒労をしていて、いつまで経っても報われないのかもしれない。

この境界線で自分はいつまでも揺れていて、どう取り扱えばいいのかわからずもがいている。今年もきっとそうだろう。

 

しょう