しょうの自由帳

自由に生きる人のライフログにしようと試みるも書けないことが多すぎて企画倒れ

日本語の単語の難解さが思考の妨害と分断を生んでいる

日本語の専門用語・学術用語は難しい

もはやこの現象が当たり前なのでこのことに気づかない人は多いが、本当に難しい。小学・中学のレベルでも難しい言葉のオンパレードだ。たとえば数学の「相似」、「奇数/偶数」。英語では"similarity"、"odd/even number"と子供でもわかる平易な言葉で表現される。もちろん、英語でも難しい表現をすることはある。「合同」は"congruence"だ。

しかし、日本語は明らかに小難しい、抽象的な表現・翻訳を好む傾向があると思う。その分単語の長さが短くなるのは良いがどうしてそこまでコンパクトにしたいのだろう。

 

思考の妨害と分断

小難しく、抽象的な表現は思考の分断を生んでいると思う。先の例でいう「奇数/偶数」レベルであれば簡単な概念なので問題はないだろう。しかし、難しいけれども直感的な理解が可能な概念を理解できなくしている場合が確かに存在する。たとえば「微分/積分」。日本語だとわかりにくいが、英語だと"differentiation/integration(違い/足しあわせ)"なので大変わかり易い。「写像」も"mapping"だ。このように、本来簡単に導入できるはずの考え方を小難しく表現することで理解を妨げている(思考の妨害)。これによる追加の教育コストは膨大だ。

「思考の妨害」だけならまだ良い。なぜなら一度理解してしまえば問題ないからだ。しかし、2次災害が続く。「思考の分断」だ。日本の専門用語・学術用語で思考していると、頭のモードが切り替わってしまう。「普段モード」から「数学モード」へ。これでは視覚的なイメージで発想する、他分野の発想を自分の分野に応用する、みたいなことが難しくなる。思考の分断は学術界だけでなく、ビジネス界でも起きている。「ロジックツリー」、「ピラミッドストラクチャー」、「回帰分析」なんて大層な名前を付けられると身構えてしまい、必ずしも本質的でない型にはまった用法になってしまう。

 

結論

個々の難解用語に対案を出せないのが悔しいけれど、専門用語・学術用語はもっと簡単にしていくべきだと思う。僕が万が一何か命名することがあったら、「くりこみ理論」、「はさみうちの原理」みたいなわかり易い名前にしたい。