しょうの自由帳

自由に生きる人のライフログにしようと試みるも書けないことが多すぎて企画倒れ

瀧本さんの逝去に寄せて

悲しいですね。。

 

1. 自身の思考や思想を残しておくことはいいことだ

彼が人生をかけて積み上げた思考回路が搭載された脳みそは燃えカスになってしまうわけですが、幸い本や記事、あるいは教え子に彼の思考が書き記されているので、次代に受け継がれるわけです。
一方、何も残されずに燃えカスとなった貴重な積み重ねが今までどれだけあっただろうと考えると、虚しい気持ちになりました。色んな頭脳がまともに人類へ引き継ぎされずに燃えカスになってきた。恐ろしい。石を積んでは崩され、積んでは崩されの世界。
我々は積極的に記録し、発表し、次代の人類の踏み台になるべきですね。

 

2. 死後の念あるね

若くして死んだ者の思想とか作品は死後より強い念を発し始め、みんな遺志を引き継いで行くんだなあと思いました。

 

3. 死ぬのってどんな感じなのか教えてください

瀧本さんには皆さん色々な想いを抱いているだろうけども、多くの方が抱く人物像としては「圧倒的なインプットを元に世の中を鋭い切り口で解説してくれる」というものでしょう。
そのような智の人が死に直面したとき、何を考え想ったのか、「死」とは何だと考えたのか、気になりませんか?これは他の偉人にも当てはまるが、死の淵で何を考えたのかもっとシェアしてほしい。対外的にかっこつけた遺作じゃなくて、もっと必死でリアルな想いをしりたい。シェアしてくれれば我々が生き方を見直す糧となるので。
それが人に見せられないような未練タラタラで無様な執着だったとしても、死んだ後ならその人間味が却って評価され、死後の念も強まり、遺志の後継者は増えるでしょう。心配されるのが嫌なら死後に公開すればいいでしょう。それでも死の淵の文書が圧倒的に少ないのは、そんな事言ってる場合じゃないくらい死は苦しいのか、本当に惨めで暗い気持ちになるのか。わかりません。死んだら本人の意志は無くなるからこそ、最上級のプライベートな話(=死の淵の思考)を最後に公開する人がもっといてもいいじゃないですか。
死ってなんだろう。我々はどう生きるべきだろう。