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しょうの自由帳

自由に生きる人のライフログにしようと試みるも書けないことが多すぎて企画倒れ

旅行に「行く」より「来てもらう」ほうが楽しいよね

「行く」より「来てもらう」

僕は旅行が好きだけれども、旅行に行くよりも旅行に「来てもらう」、つまりもてなす側の方が好きだ。

旅行に行く側の場合、行き先や誰と行くかを全ては思いのままだ。多少のトラブルはあれど、大体想定通りに行く。行きたい所や行程が決まっていれば尚更だ。行き当たりばったりの旅行をしたとしても、意思決定権は自分にあるから、究極的にはやはり思いのまま。イージーゲームなのだ。

一方、もてなす側の場合。相手の性格や興味を考えて観光ルートを複数シナリオ用意する、友人や知人との食事やイベントを用意してローカルライフを体験してもらったり新しい出会いを作ったりする、相手が心地よく泊まれるよう部屋を模様替えしたり、どんな料理を振る舞おうか思案したりする。こうやって事前に色々なシナリオを想定しておいて、当日の天候や相手の反応を元に、満足度が最大化されるようシナリオを組み替える。シナリオ中に偶然良い機会を発見したら、それも柔軟に活用する。たとえば次の行き先に向かう途中良さ気な店を見つけたら立ち寄って見るなど。

自分が旅行する側なら、たいていの不満は「こんなもんだ」と妥協して受け入れてしまう。つまらないのは自分のせいであり、楽しくしたいなら自分で自分が満足するように旅行プランを変えれば良い。一方もてなす側の場合、全ては相手のためであり、究極的には相手に主導権があるから、妥協が存在しない。旅行プランも自由でなく、相手の性格や置かれている状況、反応などを見極めながら決めなければならない。こうして「もっと喜んでくれるはず」という上限のない目標を掲げながら、自分の思い通りには必ずしもならない相手を最大限もてなす。このくらいの難易度がないと旅行はつまらない。

 

幸い僕は京都に住んでいるので、これまで十数人にのぼる人が遊びに来てくれて、それだけこのゲームを沢山プレイ出来ている。明日も東京から友人が来る。既に食事会2つ、イベント2つ、観光ルートは複数用意済み。6日間の行程なので家で振る舞う料理候補も考えてある(全て外食というわけにはいくまい)。何回ホンモノの笑顔をみられるかなあ。

 

しょう